楽な姿勢でお読みください

忘れっぽいので、未来の自分への申し送り事項。主に読書感想文を書きます。

断片的なものの社会学 岸政彦

2016年11月に読んだ本の再読。

読みながら何度も「すごいなぁ」とため息が出た。

何かを言い切ったり決めつけたりせずに、わからないことは「私はわからない」と言う。けれど、突き放すような語り口ではなく、そっと寄り添ってくれる。

タイトル通り、世界のあちらこちらにある破片を拾い集めて一冊の本にしている。

誰でも同じだと思うが、私の人格もまた、他人のいくつかの模倣から合成されたものなのである。ここには、「かけがえのないもの」や、「世界でたったひとつのもの」など、どこにもない。ただ、本当に小さな欠片のような断片的なものたちが、ただ脈略もなく置いてあるだけなのである。

強いメッセージや即効性、ポジティブさはないが、何度も読み返したい。少しずつ自分の中に「断片的なもの」のように何かを積み重ねてくれているのではないか。

読みながらなんだか不思議な感覚になる。モノクロの写真集を淡々と眺めているような。

この本、何がきっかけで読んだんだっけかなぁ。。それが思い出せない。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

【この本のポストイット

読みながら気になった箇所にポストイットをする癖があり、ポストイットを貼った箇所を以下に書きます。

・私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界に一つしかないものだった。そしてその世界に一つしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである。

・男性の多くは、小さなものを可愛がって、育てるのが下手だ。下手だし、苦手だ。これは何も本能とか生まれつきとか、そういう話ではないと思う。育ってきた環境と、社会全体の価値観が、個人をそんな風に作り変えてしまうのであろう。

・女性たちがつながりを作っていくのに、庭先の植木が一役買っている

・人は、お互いの存在をむき出しにすることが、本当に苦手だ。私たちは、相手の目を見たくないし、自分の目も見られたくない。

・私たちは、どこにいても、誰といても、居場所がない。例えば家族や恋人といても、そうだ。

・何かに傷ついたとき、何かに傷つけられたとき、人はまず、黙り込む。グッと我慢をして、耐える。あるいは、反射的に怒る。怒鳴ったり、言い返したり、睨んだりする。時には手が出てしまうこともある。しかし、笑うこともできる。

・人の語りを聞くということは、ある人の人生に入っていくということである。

・「私は、この色の石が好きだ」という語りは、そこに誰も含まれていないから、誰のことも排除しない。しかし、「この色の石を持っている人は、幸せだ」という語りは、その石を持っている人と、持っていない人との区別を生み出す。つまりここには、幸せな人と、不幸せな人が現れてしまう。したがって、まず私たちがすべきことは、良いものについてのすべての語りを、「私は」という主語から始めるということになる。あるいは、何かの石を持っているか、ということと、幸せかどうか、ということを、切り離して考えること。要するに、良いものと悪いものとを分ける規範を、すべて捨てる、ということだ。

・今現実にそうであるように、毎日を無事に暮らしているだけでも、それはかなり幸せな人生と言えるのだが、それでも私たちの人生は、欠けたところばかり、折り合いのつかないことばかりだ。それはざらざらしていて、痛みや苦しみに満ちていて、子どものときに思っていたものよりもはるかに小さく、狭く、断片的である。何もしていないのに、「かわいい」「かっこいい」「おめでとう」「よかったね」、そして「愛してる」ということは、私たちからもっと遠くにある、そして私たちにとって最も大切な、儚い夢であるーそしてそれが同時に、他の人々を傷つけてしまうこともある。だから私は、本当にどうしていいかわからない。

・マッサージというものは、外部の世界とこの私との間にある「国境」を確定し、再確認する作業であると思う。頭の上からつま先まで、満遍なく人の手によって揉まれながら、私は私の体の大きさや、形や、温度や、硬さを感じる。それは自分一人の手によっては感じることはできない。その作業には、どうしても他人の手が必要なのだ。

・ネットの社会を見ていると、本当に私たちは、「他者」が怖いんだなと思う。そこにはいわれのない、根拠のない恐怖が充満していて、その反動で、陰湿で病的な憎悪がはびこっている。

・誰でも同じだと思うが、私の人格もまた、他人のいくつかの模倣から合成されたものなのである。ここには、「かけがえのないもの」や、「世界でたったひとつのもの」など、どこにもない。ただ、本当に小さな欠片のような断片的なものたちが、ただ脈略もなく置いてあるだけなのである。

・私たちの人生には、欠けてあるものがたくさんある。私たちは、大した才能もなく、金持ちでもなく、完全な肉体でもない、このしょうもない自分というものと、死ぬまで付き合っていかなくてはならない。