楽な姿勢でお読みください

忘れっぽいので、未来の自分への申し送り事項。主に読書感想文を書きます。

"こうあるべき"に縛られないで 「かなわない」 植本一子

 

かなわない

かなわない

 

 2016年の年末に読んだ本のブログ。

植本一子さんという写真家さんの私日記。

この本は上下二段組。そんで持ってそこそこ厚い。読む前は読み切れるかな〜と不安でしたがそれは杞憂に。ページをめくる手が止まらなかった。

こんなにさらけ出していいの!?ってくらい自分のことをさらけ出している。ECDさんという夫に離婚を申し出ること、「好きな人」ができたこと、子供に手をあげそうになること、などなど...

「日記」がこんなに面白いものだとは。読みながら心がヒリヒリした。

 

子供を産んだら「お母さん」になれるんだと思ったらそうじゃなかった。私は自分が生まれた時から何も変わっていない気がする。子どものままかと言われればそうではなく、ただ知恵だけがついた。お母さんであり女であり少女であり私なのだった。「お母さん」だけになれたら、こんなに苦しい思いをすることもなかったのだろう。私はいろんなものに未練がある。

一子さんは「理想の母親像」に縛られていた。子供を産めば「母親」になれるんじゃないかと思っていた。けどそうじゃなかった。自分は自分。

理想の母親像とのギャップで苦しむ一子さんは、「先生」こと漫画家の安田弘之さんにカウンセリングを受ける。

・白い方の自分、黒い方の自分、この今のあなたが大事なあなたの人格であるということを忘れてはいけません。白い時は白いが、黒い時は黒いぜ、それでいいんです。人間はそんな一面だけでは生きてはいけません。

 先生の言葉。理想の母親像なんてものは誰かが作り上げた幻想。

今見ているNHKの朝ドラ「半分、青い」の中のセリフで「完璧な母親だったら娘も息が詰まっちまうよ」ってのがあってそれと重なる。

大切なのは自分で自分に丸をつけてあげること。

カウンセリングの箇所はなんだか自分もカウンセリングを受けているみたいな気になったのでした...!

「先生」こと安田弘之先生の漫画「ちひろ」もハッとするセリフが多くて大変良かった。

 

ちひろ 上

ちひろ 上

 

 

 

以下自分向けメモ。

【付箋貼った箇所】

・自分は、なんて駄目なんだろうと思う。おむつくらいはかなくっていいし、服も着なくていい。ご飯だってきれいに食べられなくて当たり前、嫌いなものは残すし、おしっこだってそこらじゅうにする、お風呂も嫌、自転車も乗らない、でもお母さんはなんでも優しく受けとめる、娘達が喧嘩を始めたらすぐに仲裁する。それだけのことなのに、それだけのことができない。とにかく目が離せなくて疲れている。自分の時間が作れないことにイライラする。そんな自分が情けなくなる。

 

・先生達も、泣いて本音が出てくるのをずっと待っている感じただった。上の娘の先生も涙目になっていた。先生達がなんども「お父さんお母さんを助けるためにある保育園ですから」と言ってくださり、何かが解決したというわけではないけど、こうして人に「辛い」という練習をしたような気がした。

 

・「じゃあ誰に後ろめたいんですか?」と聞かれ、一瞬、自分は誰に後ろめたいと思っているのかがわからなかった。少し考えれば、子供達と一緒に過ごしてあげられないということに気づくのだが、一瞬「世間」というものが頭をよぎったのだ。そして、それは違う、と思った。私は一体誰に向かって生きているのだろう。私が娘達にしてやれることは、温かいご飯を食べさせる、これくらいのことしかない。後のことは半人前でも、許して欲しい。

 

・なんだか最近、ツイッターが自分の世界の全てのような気分になっているのがいけないなと思う。

 

・子供を産んだら「お母さん」になれるんだと思ったらそうじゃなかった。私は自分が生まれた時から何も変わっていない気がする。子どものままかと言われればそうではなく、ただ知恵だけがついた。お母さんであり女であり少女であり私なのだった。「お母さん」だけになれたら、こんなに苦しい思いをすることもなかったのだろう。私はいろんなものに未練がある。

 

・思い出すのだ。実家にいた頃の気持ちを。実家は電車の最寄駅から車で15分かかる田舎だったので、どこへ行くのも親の足を借りるしかなかった。こっそり撮った原付の免許も、危ないからとバイクを買ってもらうことさえ叶わず、ただの身分証にしかならなかった。出かけたい時に自分だけで動けない、不自由だった。誰にも干渉されず、好きなように動きたかった。18で東京に出てきてからの、自分で動ける自由さが、嬉しくてたまらなかった。

 

・家族とは一体なんだろう。私はいつからか、誰といても寂しいと思っていた。それは自分が家庭を作れば、なくなるんじゃないかと思っていた。自分に子供ができれば、この孤独は消えて楽になるんじゃないかと。でもそれは違った。私の中の家族の理想像はその孤独によってより高いものになり、そして現実とかけ離れていることにしんどさを覚えた。自分の苦しさは誰にも言えなかった。

 

・自分が言ったことを否定されるかもしれない恐怖、これはいつか味わったことがある。小学生のころ、自分でやりたいと言い出した通信教育、絶対頑張るから、絶対やるから、と言ってものすごい情熱と説得力を持って始めさせてもらったそれは、あっという間に飽きが来た。

 

・自分のみた風景を写真を通して人に見せたい時がある。今のこの波打つ気持ちも書き残して置かないときっと忘れてしまう。そしてそれを人に伝えたいと思う。私は私のことを人に知ってほしい。ただそれだけなのかもしれない。結婚したら何か自分が変わると思っていた。でも自分の根底にあるものは全く変わらず、結局それにつきうごかされて生きている、写真を撮っている。それはなんなんだろう。変わりたいと思っていたけど、変わらなくていいところもあるかもしれない。無くしてはいけない大事なものがある。それに苦しめられ、それに生かされている。

 

・自分の中に親子関係が存在するのです。女性ならば娘と母親の母子家庭があなたなのです。そういうイメージで自分という人間の心を見つめ直してみてください。子供が自分より幸せになることも許せない、そういうものと、良い母親でありたい、という感情がぶつかり合って出たり引っ込んだりしてしまうのです。どちらも本当なんですよ。あなたは誰よりも良い母親でありたいですし、優しくしたいですし、自分がされて嫌だったことはしないで、して欲しかったことはしてあげたい、と思っているんです。

 

・他人から許可もらって初めて自分がいてよくなる。だからあなたはそれをくれる人がいないと存在していないんです。それに耐えられない。一人で立つということは一人でいても、許可をもらわなくても、自分に価値があると思えることです。与えてもらうのではなく、自分が自分に丸をつけて生きているということです。

 

・コンプレックスの塊。親から勝ち負けじゃない価値観を教えられてないのです。そういう人は周りに嫌われるので浮いていたでしょうし、浮くことでより強く、勝たなければ世間はこういう扱いをするんだと思い込み、勝ちにこだわるんです。勝てば何もかも変わるんだと。何も変わりません。本当は最初にもらうはずの大事な自信を親からもらうことができず、あなたはこの世にいてもいいんだろうか、いたら迷惑な人間じゃないんだろうか、そういう不安を最初にもらいました。そのタネを発芽させて育ててしまったんです。不安な人は、「相対価値」にすがります。絶対の自信がないので、人と比べてより強く、よりよく、そうやって比較から自分に価値をつけようとします。あなたが他人と自分を比較するのは、自分の中に絶対の自信を持たないから。そしてそれは最初にもらえるはずだったのに、もらい損ねたんです。心細くて当たり前だし、自信がなくて当たり前。それでもなんとか生きて来たんです。

 

・白い方の自分、黒い方の自分、この今のあなたが大事なあなたの人格であるということを忘れてはいけません。白い時は白いが、黒い時は黒いぜ、それでいいんです。人間はそんな一面だけでは生きてはいけません。