楽な姿勢でお読みください

忘れっぽいので、未来の自分への申し送り事項。主に読書感想文を書きます。

ストロング系社会。「上を向いてアルコール」小田嶋隆

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

 

 

コラムニスト、小田嶋隆さんの新刊です。 この本で小田嶋さんが元アルコール中毒と知って驚きが隠せませんでした。

厚生労働省によると、「アルコール依存症患者」と診断されている患者が、男性で95万人、女性で約14万人存在しているといいます。予備軍と見なされる人の数は、男女でそれぞれ、257万人と37万人にのぼるそう。

 

わたしはお酒が好きで、特に料理を作りながらのお酒が好き。

仕事でなんだかモヤっとした日は、ついコンビニで金麦を手に取ってしまいます。

 月曜日は週明けで疲れたから1本

 水曜日はノー残業デーだから1本

 金曜日は今週1週間頑張ったから1本、と・・・。

 

そう、この「ちょっと一杯」がアルコール依存症への道だそう。全く「アルコール依存症」という意識は無かったのですが、この本を読んで、私も依存症になる可能性はあるんだなと思うようになりました。

さらに現在の大きな依存症「スマホ依存」についても書かれています。お酒やスマホだけでなく、誰もが依存症になる可能性がある。

お酒(特にストロング系チューハイ)が好きな人、スマホを忘れた時の焦燥感を感じる人にオススメの一冊です。

 目次

 

お酒とコミュニケーション

酒飲んじゃうと楽なのは、「わたしはあなたより酔っ払いです」という設定で人と会えること。

 これ、すごくわかります。人見知りの私は飲み会に行くととりあえず飲んで酔っ払い、テンションを上げることで人と話せるようにしています。

 この本を読み進めるうちに、コミュニケーションをアルコールに依存してる・・・と気づくようになりました。

 

アル中さんの特徴とは

小田嶋さんが、いくつか「アル中さん」の特徴をあげていましたが、私が気になったのは以下のようなところ。

・アルコール依存っていって見れば、考え方の病気です。飲むとか飲まないってこともあるけど、ものの考え方そのものが、「あのときにあれだけできたんだから今でもできるはずだ」とか、そういう風にものを考えるようになる。アルコールのことだけじゃなくて、いろんな場面でそういう考えが顔を出す。

・アル中さんと言うのは、旅行に行くのでも、テレビを観るのでも、あるいは音楽を聴くのでも、全部酒ありき

・お酒は物語込みで消費するのが安全。

グルメなみなさんは、お酒も物語込みで消費します。でも、当然のことながらアル中さんはそういう物語とは別の世界に住んでいます。だって、飲酒という文化的な営為から、アルコールを摂取する以外の意味を剥ぎ取って行くことが、すなわち一人の人間がアル中として完成する過程でもあるわけですから。

 

アルコール依存症は考え方の病気。次の「ストロング系社会」ともつながりますが、「単に酔えればいい」というのは、手っ取り早く刺激や結論を求めるということになるんだなと思ってしまいました。

 

ストロング系社会

 私はこの本を読みながら、高アルコールチューハイの人気について考えました。

「ストロング系チューハイ」という、アルコール度数が9%の高アルコールチューハイが人気です。ビールの人気に陰りが見える中、この市場だけは伸びています。パッケージも女性を意識したり、キャラクターに人気女優を投入するなど、「高アルコール」であることを、素敵なキャラクターでどうにか和らげている、ぼやかしているように見えます。

 わたしも以前はこの手のチューハイを、「安いし手っ取り早く酔えるので楽」と思い常飲していましたが、ずっとこれを飲んでいると、普通のチューハイやビールのアルコール度数が物足りなくなってしまうようになってしまって。あ、まずいと思い飲むのを辞めました。

 手っ取り早く酔えて、刺激がもらえるストロング系チューハイ。効率を求めたり、白黒つけたい、すぐに納得がいく結論を求められる現代にすごくフィットしてるんだろうなぁと。社会全体が「ストロング化」してるんじゃないかな、という風に思いました。

アルコール依存症に変わる新たな脅威

現代の大きな依存症、スマホ依存についてもこう書きます。

 スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じ。

ある年齢より若い世代の、基本的な生活習慣であるとか、世界観であるとかいった、人間の脳みその根本のOSに当たる部分を蝕んでいる気がしますね。その出来上がりかたは、きっとアルコールがアル中さんの脳内にアルコール専用の回路を作る過程に似ていると思います。

コミュニケーションは、アルコールみたいにボトルに入った実態として目に見えないので、自分が依存していると言うことに割と気づきにくい。

コミュニケーション依存がわかりにくいのは、自分たちが依存している対象が、スマホという機械そのものではなくて、機械につながっている先にある他者とのコミュニケーションと言う点。

何かに依存してしまうと言うことは、自分自身であることの重荷から逃れようとすることで、その先はスマホでもお酒でもそんなに変わんない。

スマホを忘れたときの焦燥感はすごくわかります。

けど、依存症っていわれると「いや私は違うよ」と言いたくなる気持ち。大きな枠組みから言えば、われわれは結局のところ何かに依存していて、その依存先を都合次第で乗り換えているということですよ。

と小田嶋さんは話します。何かに依存していて、依存していると指摘されると、どこか恥ずかしくて否定したくなる。その「恥ずかしさ」をせめて自覚すること大切なのかなと思いました。