特別じゃない日の積み重ね。「ディス・イズ・ザ・デイ」津村記久子
津村記久子さんの新刊「ディス・イズ・ザ・デイ」。朝日新聞で連載されたものをまとめた一冊です。とにかく素晴らしかった。サッカー2部リーグを応援する人たちの群像劇。日本各地にある2部リーグの架空の22チーム、全国津々浦々のファンの、生活や人生と、サッカーがリンクしている。
この本は、サッカーが好きな人はもちろん、国内旅行が好きな人にもおすすめ。サッカーのゲームが行われる日本各地、その土地の方言や名産物、食べ物の描写がリアルで、読んでいて日本各地を旅行している気分になります。実際に津村さんが全国各地を訪れたからこそのリアルさ。
表紙裏に、各チームのエンブレムのイラストがあるんですが、そのエンブレムが地元の名物をモチーフにしています。個人的には、青森のねぷたとりんごをモチーフにした「ネプタドーレ弘前」のエンブレムが好きでずっと見ていたいくらいです。
そして、津村記久子さんファンの方はきっとこの本は集大成なんじゃないかなと思うはずです。
この本が素晴らしいところ。サッカーのファン歴や熱量、関わり方が違っていても、同じサッカーファンとして等しく描いていることがすごくよかった。
応援しているチームの状況やルールは詳しく知らないけど、なんとなく好き、とか、雰囲気が好きとか。
<第1話 p32>
「降格? やばかったってこと?」
「そうだよ。よそのチームの結果にもよるけど、負けたら21位で入れ替え戦に回るか、22位で自動降格のどっちかだった」
そんなことも知らないでこいつは試合を観ていたのか、と貴志は少しあきれるのだが、それ以上に驚く。そんなことを知らなくても、好きなチームの応援はできるのだということに。
そういう「にわかファン」も、20年前からずっとある選手を追い続けているファンも、「サッカー」を好きな熱量は同じものとして描いている。
そして、「何かのファン」であることの喜びや苦しみをこの本では描く。登場人物は、なんでサッカーを観るんだろう、と自問自答している。なんで観てるんだろう?なんでファンなのに苦しまなきゃいけないんだろう?とも。好きであることの醍醐味ってここにあるんだろうなと感じた。それって無理に誰かと共感しなくてもいいんだろうな。
<第11話 p341>サッカー部の勝ち負けという所詮他人事に、なんだったら応援していると言っても多くの人は知らないかもしれないチームの勝敗に、女も男も年寄りも子供も、貧しい者も金持ちも、幸福な者も不幸な者も、そのどちらでもない者も心を悩ませ、喜んでいるという事実に対して、どうしてサッカーを観るのかについては答えが出ていない。
<第11話 p346>歓声を聞いていると、功は自分がただフィールドを眺めながら人々の声と熱を受信する装置になったような気分がした。そして瞬間の価値を、本当の意味で知覚しているような思いもした。人々はそれぞれに、自分の生活の喜びも不安も頭の中には置きながら、それでも心を投げ出して他人の勝負の一瞬を自分の中に通す。それはかけがえのない時間だった。
津村記久子さんのこれまでの作品を思い返してみると、かっこいいヒーローや大きな事件は出てこない。だけど、市井に生きる人たちが淡々と生きる姿を丁寧に描く。そして生きていると起きる、小さな奇跡にじんわりと共感させられる。大きな安心感がある。
<第7話 p226>あらゆる僥倖の下には、誰かの見えない願いが降り積もって支えになっているのではないかと、荘介はこの9か月を過ごして考えるようになっていた。
津村さんは本書刊行に当たるインタビューでこう答えている。
「働くことを書いてきたというよりは、人間の日常を書いてきたと思うんですよね。特別じゃない日の積み重ねの結果、ちょっとだけ何かが変わるっていうことを」
何かを好きになることで自分の人生が豊かになること。好きであることを肯定すること。小さな毎日を積み重ねることっていいなと思わせる一冊でした。