最後の鍵は、君なのだ。「漫画 君たちはどう生きるか」吉野源三郎、羽賀翔一
「君たちはどう生きるか」の感想です。
物語の主人公は、中学2年生の「コペル君」。
学校で起きるいじめ、友達の貧困などとどう向き合うか悩んでいます。
コペル君のメンター的な存在の「おじさん」との対話により、悩みを解決する糸口、自分が生きる意味を探して生きます。
200万部を突破し、上半期一番売れた本だそうです。
なんと、ananでも特集が組まれていました。
anan (アンアン)2018/03/07[君たちはどう生きるか]
原作「君たちはどう生きるか」日中戦争が始まる昭和12年(1937年)の出版です。
漫画と、おじさんからの手紙、という形で本は進んでいきます。
おじさんからの手紙は以下のような構成になっています。
- ものの見方について
- 真実の経験について
- 人間の結びつきについて
- 人間であるからには
- 偉大な人間とはどんな人か
- 人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて
コペル君は感受性豊か。そして、成長することへものすごく貪欲。
おじさんとの交流をきっかけに、いかに、自分が経験した出来事から「気づき」を得るか?ということを考えています。
コペル君の経験に対して、おじさんが手紙という形で
その経験から気づきをえるための「ヒント」を示してくれています。
だけど、現実世界に生きる私は、自分が経験したことから何か「気づき」を得られるかといったら、必ずしもそうでは無い。
ましてや、ヒントをくれる人なんてそうそういないはず。
この本は、「君たちはどう生きるか?」という、
原作者、吉野源三郎さんによる問いかけで終わっています。
この問いかけを受けて、私は、経験から気づいたことを、ずっと心の中にとどめて置いて反すうすることが大事なんじゃないかなと思いました。
その時はたとえ何も「気づき」はなくとも、
時間がたって別の出来事と繋がって「気づき」を得られるかもしれない。
誰か友達に話してみたら、何か生まれるかもしれない。
「ラブという薬」の一説に、
自分の経験を心の中で反すうすることで「発酵」に繋がると書いてあり、それを思い出しました。
おじさんからのノートの一節にこうあります。
<P100 真実の経験について>
君もこれから、だんだんにそういう書物を読み、立派な人々の思想を学んで行かなければいけないんだが、しかし、それにしても最後の鍵は、ーコペル君、やっぱり君なのだ。君自身の他には無いのだ。君自身が生きてみて、そこで感じた様々な思いを元にして、初めて、そういう偉い人たちの言葉の真実の意味も理解することができるのだ。数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決して行かない。
だから、こういうことについてまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもごまかしてはいけない。そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えて見るのだ。
そうすると、ある時、あるところで、君がある感動を受けたという、繰り返すことのないただ一度の経験の中に、その時だけに止まらない意味のあることがわかってくる。それが、本当の君の思想というものだ。
そう。いつだって自分が感じたことや考えたことが全て。そこから始めるんだな、と。
原作本も読んでみたくなりました。