書くために書くのではなく、考えるために書くのだ。「20歳の自分に受けさせたい文章講義」古賀史健
「嫌われる勇気」の古賀史健さんによる文章講義。「20歳の自分に受けさせたい」というタイトル、うまいなぁ、と思いながら手にとりました。この本の途中で、タイトルの仕掛けは明らかになります。
目次
自分の頭の「モヤモヤ」を言葉にするには
自分の考えを外に出せないなぁ、うまく言葉にできないなぁと思うことが多いです。その場で思ったことを出せず、なんであの時言えなかったんだろうということの連続。
それに対しては、古賀さんはこのように答えを出しています。
- 文章を書こうとすると、固まってしまう
- 自分の気持ちをうまく文章にすることができない
1で悩んでいる人は、まだ頭の中の「ぐるぐる」を整理できていない状態だ。文章とは頭の中の「ぐるぐる」を"翻訳"したものだ、という発想が欠如している。まず必要なのは"翻訳"の意識づけだろう。
2で悩んでいる人は、「ぐるぐる」を誤訳してしまっているだけだ。こちらはもっと具体的な"翻訳"の技術が必要だろう。
われわれは、自分という人間の"翻訳者"になってこそ、そして言いたいことの"翻訳者"になってこそ、ようやく万人に伝わる文章を書くことができる。書けない人に足りないのは、"翻訳"の意識であり、技術なのだ。
映画や本を見たあとに、「面白かった」の一言で終わればそれでいいのですが、けど私は、どこが面白かったのかを追求したい。登場人物なのか、ストーリーなのか、音楽なのか、背景なのか。その、「面白かった」を明らかにすることが、書く技術。
古賀さんは、目の前に20歳の自分がいたら、根本的なこのようなアドバイスを送りたいと言います。
「考えるために書きなさい」と。
書くことは考えることであり、「書く力」を身につけることは「考える力」を身につけることなのだ。"書く"というアウトプットの作業は、思考のメソッドなのである。
考えるために書く、思考メソッド
この思考のメソッドについて、古賀さんが現場で15年かけて蓄積した技を惜しげも無く伝えてくれています。その一例を紹介します。
「読者は文章を"眼"で読んでいる」
書き手の側も聴覚的リズムを気にする前に、
「視覚的リズム」を考えなければならない。
これを見てパッと頭に浮かんだのが、
「ほぼ日刊イトイ新聞」や「北欧、暮らしの道具店」のメルマガ。
この媒体の文章って、改行位置が早くて視覚的圧迫感が少ない。
そのため、テンポよく読み進めることができています。
これが視覚的リズムか!と納得しました。
・この文章を読んで映像が思い浮かぶか?
ダメな文章を読んでいて、もっとも辛いのは「文字だけを追わされること」。
面倒な細部を描写することで、映像が浮かんでくる。
・頭の中を可視化するために、紙に書き出す。
「ぐるぐる」を可視化するには、紙に書き出すこと。これに尽きる。
まず、10個キーワードを書く。
もう10こはそれ以外のことを書いて、文章の伸びしろを作る。
文章の面白さは「構成」で決まる。
文章の「カメラワーク」を考えると、文章全体にメリハリがつき、リズムがよくなります。
1.導入(=序論)・・・客観のカメラ
→客観的な状況説明
2.本論(=本論)・・・主観のカメラ
→序論に対する自分の意見・仮説
3.結論(=結論)・・・客観のカメラ
→客観的視点からのまとめ
作者の古賀さんはもともと映画監督を目指していたそうです。
文章の「視点」を意識するということは、そういうバックグラウンドがあったからこその納得力だと思いました。
構成を考えるための具体的方法
・頭の中の「ぐるぐる」を図解・可視化するために、絵コンテを書く。
図解をすることで頭がクリアになる。図解するメリットとしては、「流れ」と「つながり」が明確になること。
・文字量は頭で数えるのではなく、"眼"で数える習慣を作る。
- ワープロソフトの文字数と行数を固定して、1ページあたりの文字量を覚える
- 行数(行番号)を表示させるか、グリッド線(罫線)を表示させる
- 何行で400字になるかを頭に入れておく
1ですが、古賀さんは「40文字×30行=ページ1200字」と文字組を固定して原稿を書いているそうです。毎回同じ文章量で書いていった方が、構成力が身につくそう。
10年前の自分に伝えよう
この本のタイトルは「20歳の自分に受けさせたい文章講義」です。
著書の古賀さんは、「20歳の自分」の椅子に座ってこの本を書いたそうです。
「10年前のあなたに向けて書こう」と古賀さんは提案しています。
なぜなら、今、この瞬間も日本のどこかに「10年前のあなた」がいるから。今を生きている「見知らぬ誰か」の椅子に座る、一番確実な方法だからです。
ここで、「20歳の自分が受けたかった文章講義」の仕掛けが明らかになりました。
文章術本で、「読者を決めよう」とよく書かれていますが、
読者を決められない時は、「10年前の自分に対して書く」ということは、誰にとっても当てはまるな、と。
自分の中に 文才を探さない
まとめとして、「いい文章を書くのに、文才など全く必要ない」と心強いメッセージを古賀さんは残しています。文才を探すというのは、諦めの材料を探しているだけだ、と。
また、「いい文章とは、読者の心を動かし、その行動も動かす文章」とおっしゃっています。さらに、「人生を動かす文章」も書けたら最高ですよね。
この本は、古賀さん本人が、文章において右も左も分からなかった20歳の頃の自分にでも分かるように、分かりやすい文章で書いてあります。
そもそも、文章を書くって何か?ということが理解できる一冊でした。