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忘れっぽいので、未来の自分への申し送り事項。主に読書感想文を書きます。

過去を美化せず受け止めること。「生きるとか死ぬとか父親とか」ジェーン・スー

 

生きるとか死ぬとか父親とか

生きるとか死ぬとか父親とか

 

 ラジオパーソナリティやコラムニストとしてあらゆるジャンルでご活躍のジェーンスーさん。

新刊、「生きるとか死ぬとか父親とか」です。過去のエッセイで家族について触れておられましたが、ここまでジェーンさんの家族との関係を赤裸々に綴った本は初めてと感じました。

 

母親を20年前に亡くし、ジェーンさんは40代半ば、お父様は80歳となりました。

 私が父について書こうと決めたのには理由がある。彼のことをなにも知らないからだ。

 と、この本を書いた理由を述べられています。絶縁寸前となったものの、今ちゃんとお父さまと向き合わないと後悔する、という想いから書いたエッセイです。

 

娘にとって、父親とはどういう存在なのでしょうか。

父親と向き合うことはどこか気恥ずかしく、会話も母親を通じてとか。

母の日のプレゼントはあげるけど、そういえば父の日のプレゼントはなんとなくあげてなかったな、など。

ジェーンさんは、恥ずかしがらずに父親と向き合っていきます。今の関係性だけではなく過去の家族関係にも。ジェーンさんの物語ですが、つい、自分自身の父子関係を重ねてしまいます。 

 

印象に残ったのは以下のようなところです。

 <P64 「不都合な遺伝子」から> ありのままを書くつもりでいたのに、いつの間にか私は寂しさの漂ういいお話を紡いでいたような気がする。良い時代を血気盛んに渡り歩いた若い父と、死んだ母を偲ぶ老いた父の美しい物語を。

 数多の線で形づくられた父という輪郭の、都合の良い線だけ抜き取ってうっとり指でなぞる。私は自らエディットした物語に酔っていた。

 父のために父を美化したかったのではない。私自身が「父がどんなであろうと、全てこれで良かった」と自らの人生を肯定したいからだ。この男にはひどく傷つけられたこともあったではないか。もう忘れたのか。

 美談とは、成り上がるものではない。安く成り下がったものが美談なのだ。父から下戸の遺伝子を受け継いだからには、私はいつだって素面でいられる。どんな下衆な話でも、どんなにしょぼい話でも、笑い飛ばし、無様な不都合を愛憎でなぎ倒してこその現実ではないか。 

ありのままの姿を書くものの、気づいたら「美しい物語」になってしまっていた。
あたかも、結婚式での、お父さんへの手紙のようなものに。昔の思い出は美化されるものです。嫌なこともあったのに。
書くことで、「良いことも傷ついたことも含めて、自分の人生を肯定したい」と想う中での、葛藤を感じました。

 

 その他のエピソードとして、ケアハウスに入居しているジェーンさんの叔母さんとのエピソードもすごく良かった。自立心と好奇心が旺盛でおしゃれな叔母なのに、病気をしてすっかり元気がなくなっていく。

 叔母さんに残された時間が少ない中、ケアハウスから近所のスーパーへ連れ出していくことを叔母への「エンターテイメント」として贈る優しさ。

<P181「真っ赤なマニキュア」から> レジの向こうで会計が終わるのを待っていたら、どこからか小さな女の子がトコトコと叔母めがけて歩いてきた。途端、幼児の放つ瑞々しい生命力がその場に漲り、叔母は破顔して嬌声をあげる。子どもの立つ場所だけが日差しを浴びたように明るく輝き、拙い徒歩やぷにぷにの指先から解放される温かな波動を浴びて、叔母も輝いた。子供の生きる力が、一時停止ボタンを押されたままの叔母の日常を一瞬で突き動かすのを目の当たりにし、私は圧倒された。

生命力がキラキラと輝いているこのシーン。何度も読み返しました。