楽な姿勢でお読みください

忘れっぽいので、未来の自分への申し送り事項。主に読書感想文を書きます。

三浦しをん最高傑作。自分を支える記憶を信じること「ののはな通信」

 

ののはな通信

ののはな通信

 

 

三浦しをん「ののはな通信」を読みました。

ミッション系のお嬢様学校で出会った、野々原茜(のの)と牧田はな。

庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、

外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。

二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。

しかし、ののには秘密があった。いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。

それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。

不器用にはじまった、密やかな恋。

けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。

 

全編を書簡形式で紡いでおり、

二人の気持ちが、雑味なくストレートに入ってきます。

ののとはなの二人は、高校時代、強烈な恋に落ちます。

<P254>恋の記憶は残った。あの高揚と歓喜を一度も味わわずに生を終えるひともいるのだと思えば(運命の空いてなんているはずないと嗤うひとは、真実の恋をまだ一度も味わっていないことを自白しているも同然です)、やはり私は幸運だったと言えるでしょう。たとえひとときでも愛し愛され、燦然と輝く思い出を永遠に手にいれることができたのだから。

<P398>あなたに出会ったおかげで、私は人間として生きる喜びと苦しみの全てを知りました。感謝します。神さまにではなく、あなたに。

<P447>あなたは私は「ひと」にし、「ひと」として生かしてくれました。あなたは長い年月をかけて、私に愛を、つまり考え実践しつづけることを、教えてくれたのです。

 誰かと出会い、その人の存在を誇りとして生きること。

その相手は異性だろうが、同性だろうが関係ない。

美しい記憶を信じて生きることの喜びと、苦しみが描かれています。


はなは、外交官の夫と結婚して夫の赴任先の外国へついていきますが、

そこである決心をします。

その決心も、ののとの記憶が契機となり、

自分の「誇り」を元に行動に移しています。

体面や、地位や名誉を守りたいがための自尊心ではなく、自分の魂の誇りのために。

 

<P355>あなたとのあいだにあったこと、つまり、私のなかにあるうつくしい記憶を、私は信じます。それはいつまでも、私が世界を見る際の指針となり、私が採るべき道を示してくれる。私がそう思っていることを、どうかいつまでも忘れないでね。

 記憶はまだ輝きを帯びている。私はその光がさす方向へ進むつもりです。

 
自分を支える存在や記憶。それがもう自分のそばやこの世に存在しなくても、

記憶は消えることなく、自分の中で永遠に生き続ける。

 

ののとはなは、お互い強烈な存在でした。

ここまで大きな存在に出会えるのはとても幸せですが、

きっと、誰もが何かしらの自分を支える記憶を持っているのではないか?

迷った時や辛い時はその記憶をそっと取り出してみようと思わせてくれました。

 

この一冊、三浦しをんさんの集大成と思いました。映画化もきっとするんだろうな・・・!楽しみ。

妄想のプロは、夢まで妄想が豊かだった「ビロウな話で恐縮です日記」三浦しをん

 

ビロウな話で恐縮です日記 (新潮文庫)

ビロウな話で恐縮です日記 (新潮文庫)

 

 

三浦しをん氏のエッセイです。

 ひとことで言うと、とにかく「開けっぴろげ」な内容です。しをんさんの心の中。仕事場。仕事場の机の周り。本棚の中身。DVDラックの中身。部屋の扉を開きっぱなしにして、「どうぞどうぞ見てください!」と、にこにこしてしをんさんが言っているような。

 解説をジェーン・スーさんがこう書かれています。

三浦しをん氏は用を足すときトイレのドアを開けっ放しにしているだろうな。そんな想像が膨らみます。私がそうだからわかるのです。

 そうそうまさに、部屋の扉のみならず、トイレのドアまで開けてしまっている印象です。

 

三浦しをんさんの私生活は、とにかく忙しいです。ジェーン・スーさんはこれを「暇そう」とおっしゃっています。

 コミケに行ったり、欲望百貨店(伊勢丹)で試着をしたり、漫画や小説を読んでニヤニヤしたり、すすり泣いたり。趣味活動=オタク活動に忙しい。

 ですが、この「オタク活動」への妥協の無さに並々ならぬプロ意識を感じます。ただ漫画を読むだけではなく、「中勘助くらもちふさこの記憶力の発露の仕方の微妙なちがい」について考えています。これらの分析が、数々の小説に生かされているんだなと思われます。

 そして特筆すべきは、妄想の豊かさ。現実世界はもちろん、夢まで妄想が豊かです。このエッセイにはいくつかの夢日記が書かれています。その「夢」の内容が、どうしてここまで記憶力があるんだろう・・・というほど、細かい質感が鮮やかに描かれています。

その一部を紹介します。

 夢の中で、しをん氏は「海賊」の設定です。海域に沈んでいる海についての描写です。

 海底の砂に足がついた。目の前には見事に竜骨部分を残した船の残骸がある。飴色に鈍く輝く巨大な竜骨だ。竜骨からは薄い横板が羽のように何枚も突き出て、船腹のアーチを形作っている。アーチ部分の板には、よく見ると潮の侵食によってできた小さな穴がたくさん空いていて、レース編みのようになっている。

 レースは光を通し、海底の砂に複雑で美しい模様の影を落とした。

「見ろよ、きれいだなあ」と私は言い、私たちはしばし無言で足元を眺めていた。こんなに穴があっては、もう使い物にならないとわかっていたが、それでも自分たちの船に引き上げられればいいのにと、お互いに考えている。

 ・・・ここだけ、いきなり小説の世界に飛んで行きました。ジェーンスーさんの解説にあるように、「ここだけ別料金」レベル。夢も、妄想の一部だと思うんですが、現実世界で妄想力豊かな人は、夢までもそうなんだ、と驚きました。

 

 しをんさんは、小説家・エッセイストであるとともに、「オタクのプロ」であり、「妄想のプロ」。私はこのエッセイと並行して、小説「ののはな通信」も読んでいたのですが、私生活でのオタク活動や妄想が小説に生きているんだなと思います。ひょっとしたら、私生活と妄想の世界がほぼ一緒なのかもしれません。

言葉のマッサージ「偽姉妹」山崎ナオコーラ

 

偽姉妹 (単行本)

偽姉妹 (単行本)

 

山崎ナオコーラさんの新刊。

姉妹のあり方に疑問を投げかける小説です。

 

あらすじ

長女の衿子、次女の正子、三女の園子。3人は、一軒家で一緒に暮らしています。

衿子は公務員。正子はシングルマザーでアクセサリーの販売をしている。園子は看護師。

 正子はイケメンの旦那と結婚。ふと思いついて買った宝くじがまさかの3億円。

その宝くじの賞金で一軒家を建てる。正子は妊娠するものの、妊娠中に夫が浮気してしまいます。。

それがきっかけで二人は離婚。正子はシングルマザーとして息子を育てはじめ、そこに長女、三女も転がりこんでくる。

正子は、3姉妹で一緒に住むことに窮屈さを感じてきています。

結婚相手を自分で決めて、離婚も自分の判断で行えて、再婚や再々婚もできる自由をもてる時代に生きているのに、姉妹を自分で決められないのはおかしい。

 そう考えた正子は、姉妹に対して、「姉妹を解散しよう」と提案します。

正子には年齢も違う、中のいい二人の友達(百代、あぐり)がいます。

百代は、正子の前の会社の先輩。あぐりは、正子が昔通っていた習い事で出会いました。姉妹を解散して、正子は百代とあぐりと暮らし始めます。

 

これまでの正子は、家族と楽しく経済をまわすことができていなかった。でも、正子は変わり始めた。次の家族とは、経済を楽しみたい。百代やあぐりは、人間的に衿子や園子より優れているわけではない。ただ、百代と正子とあぐりの組み合わせの場合、金のやりとりに緊張が走らない。それが、百代とあぐりを姉妹に選んだ理由の全てのような気がする。

 正子と百代とあぐりの3人は、住んでいる一軒家を改装して「姉妹喫茶店」というカフェを始めます。

ラスト30ページは、「姉妹喫茶店」の40年後です。

 

思ったこと

これまでの著書で、既存の枠組みに疑問を投げかけきたナオコーラさん。

「可愛い世の中」では金銭感覚への疑問を、ネンレイズム/開かれた食器棚 」では年齢への疑問を投げかけてきました。

本書では、登場人物の会話を通し、「姉妹」のあり方を問いてきます。「経済」、「マウンティング」などにも触れられている部分もあります。

自分の凝り固まった思考に対して、柔らかい言葉でマッサージを受けているような感覚になります。

「姉妹喫茶店」の準備をするシーンでは「成功」に対して問いを投げかけます。

<P248>「とりあえずの目標は、『3年間は続けること』にしよう。3年続けられたら、一応、成功とみられるっぽいからさ」

あぐりが片方の手を由紀夫とつなぎ、もう片方の手は腰に当てて宣言した。

「成功と見られるって、誰から?」

正子は看板を手に当てたまま尋ねる。

「え?それは、えーと、世間から……」

あぐりは言いよどんだ。

「まぁ、そうね。成功と見られなくっても構わないかもねぇ」

百代は頰に手を当ててぼんやりと言った。

「成功したい」のか、それとも「成功と見られたい」のか。

自分がやりたいと思っていることが、自分起点のエネルギーからなるのか、それとも他者起点なのか。

そこをしっかり切り分けをしないと、いつの間にか「他者に成功と見られること」に自分のエネルギーを随分使ってしまうことになりそう、とドキッとしました。

 

この本のラストは、40年後の「姉妹喫茶店」でのシーンで締めくくります。

40年後は、「姉妹」のあり方を取り巻く環境が随分変わってきているようです。

本の向こう側から清々しい風が吹いているかのような読後感でした。

 

今は「ぶす」についてのエッセイを書いていますね。こちらも書籍になったらじっくり読みたい。

言葉の体質改善をしよう「自分の言葉で語る技術」川上徹也

 

自分の言葉で語る技術 (朝日文庫)

自分の言葉で語る技術 (朝日文庫)

 

 あなたは、自分の言葉で語ることができますか?

こんな悩みはありませんか?

・自分の考えをうまく伝えることができない

・自分の意見がうまく言語化できない

・感想を求められても平凡なコメントしか言えない

 この本の作者、コピーライターの川上徹也さんによると

このような悩みが生まれてしまうのは、

「自分の言葉」を意識してこなかったからだそうです。

 

先日、会議で自分が作成する資料を説明する機会がありました。

資料には載っていない、付加情報を伝えようとしたんですが、

その「付加情報」が何なのかが

自分の中でしっかりハラオチしないまま話してしまった。

話しながら、冗長になってしまい、

ものすごく、「借り物」の言葉を使っている感じがあり

話した後に後悔してしまった。

 

借り物の言葉を使わずに、

自分の言葉で話せると

自分の本心と言葉が一致させたら

気持ちよく生きられるのではないか。

 

この本には、

「自分の言葉」で語るための練習tipsが載っています。

 

この本は、以下のような人たちにオススメです。 

1.自分の考えをうまく言語化し伝えることができないあなた

2.「自己アピール」が苦手でいつも損をしているあなた

3.平凡なコメントしか言えず人から軽く見られがちなあなた

 

「自分の言葉で語る技術」とは何か。

・「自分の言葉」で語っていると、他人に思ってもらう

・他人から見て「自分らしい言葉」を見つける

・敏腕マネジャーになったつもりで、自分という商品を語る

 これには、驚きでした。

「語る」ための言葉については、他人からどう見られるか、の視点が必要ということ。

「自分の言葉で語る」のではなく、「自分の言葉で語っている」と「思ってもらう」こと。

 

「アイディアのつくり方」という古典によると、

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせの何ものでもない」

と断言しています。

 

誰かが語っている言葉であっても、

自分の経験から感じたことや本で読んだ知識などを組み合わせると

「自分の言葉」になる、と川上さんは言います。

 

人の言葉を自分の言葉にする訓練って?

それには、以下のようなものがあります。

・書店で、売れている作家の本をできるだけ多く買ってくる。

売れている作家は、多くの人が心の中でもやもやと思っていることをうまく言語化してくれる場合が多いから。

・片っ端から本を読む。同じことを考えていたという主張には付箋を貼る。

・次に作家の言葉を、自分の言葉にする作業をする。

付箋を貼った「同じことを考えていた文章」に手を入れていく。作家の主張はそのまま置いておく。

・主張を裏付けるために、文中には作者の体験談やエピソードが書かれているはずなので、その部分を、自分自身の経験や人から聞いたエピソードに置き換えてみる。比喩を使っていたら、別の比喩を使って説明してみる。

・テーマを変えてみる。

・結論や主張の部分を、同じ意味でもいいので、別の単語を使ってみる。

このようなエクセサイズを繰り返しているうちに、

自分の意見を組み立てるコツが掴める、と語ります。

まさにこれは読書感想文を書く作業。

 

感情を書かず、状況を書こう。

その他のtipsとして、以下のものがあります。

・気持ちを表す言葉を書かずに、その状況を書く

・五感を総動員する

これは、先日読んだ「超スピード文章術」にもあった、自分の「感情」ではなく、その「状況」を書くというのと同じ!と思いました。

 

感情を使わないという点では以下のtipsもあります。

・勝手に感動したり号泣したりしない 

うまく言えないけど、なんだかよかった→感動フォルダ

なんだかよくわからないけど、涙が出た→号泣フォルダ

 

これは、どこがどうよかったのかわからない。

深く考えずにフォルダに投入しない。

読む人はその中身を知りたいのだから。

 

より考えを深めるために

高度なtipsとしては、以下のようなものがあります。

・自分の意見、反論を経て、より高次な意見を展開する

(自分の意見=テーゼ・つぼみ)

借り物の意見を使わずに自分の言葉を使うべきだ。 

(それに対する反論=アンチテーゼ・花)

自分の言葉が簡単に出てこないからこそ借り物の言葉を使ってしまうのだ。

(次元の高い意見=ジンテーゼ・実)

だったら一度誰かの言葉を借りて、それを自分の頭の中で消化し別の表現にすることで自分の言葉にしよう。

 一度自分の言葉を否定して、

さらに高い次元の意見を作るということは

考えを進化させるためにも必要なことだなと感じました。

 

「自分の言葉で語る技術」で大事なこと。

まとめとして以下のように紹介されています。

 

前提条件

「自分の言葉で語っているかどうか」を決めるのは他人

他人から見て、自分の言葉で語っているように見えることが重要

 

ポイント

1.自分の体験から得た発見を具体的に語る。

2.視点や次元を意識して変えながら語る。

3.語り方の巧拙よりも伝えたい気持ちと少しの勇気。

 

この本で紹介されていたtipsは、

抽象的なものも多く、

正直、即効性は無いかもと感じました。

 

ですが、この本で紹介されていたtipsを日々意識したら、

自分が発する言葉がじわじわと体質改善されていくのではと感じます。

過去を美化せず受け止めること。「生きるとか死ぬとか父親とか」ジェーン・スー

 

生きるとか死ぬとか父親とか

生きるとか死ぬとか父親とか

 

 ラジオパーソナリティやコラムニストとしてあらゆるジャンルでご活躍のジェーンスーさん。

新刊、「生きるとか死ぬとか父親とか」です。過去のエッセイで家族について触れておられましたが、ここまでジェーンさんの家族との関係を赤裸々に綴った本は初めてと感じました。

 

母親を20年前に亡くし、ジェーンさんは40代半ば、お父様は80歳となりました。

 私が父について書こうと決めたのには理由がある。彼のことをなにも知らないからだ。

 と、この本を書いた理由を述べられています。絶縁寸前となったものの、今ちゃんとお父さまと向き合わないと後悔する、という想いから書いたエッセイです。

 

娘にとって、父親とはどういう存在なのでしょうか。

父親と向き合うことはどこか気恥ずかしく、会話も母親を通じてとか。

母の日のプレゼントはあげるけど、そういえば父の日のプレゼントはなんとなくあげてなかったな、など。

ジェーンさんは、恥ずかしがらずに父親と向き合っていきます。今の関係性だけではなく過去の家族関係にも。ジェーンさんの物語ですが、つい、自分自身の父子関係を重ねてしまいます。 

 

印象に残ったのは以下のようなところです。

 <P64 「不都合な遺伝子」から> ありのままを書くつもりでいたのに、いつの間にか私は寂しさの漂ういいお話を紡いでいたような気がする。良い時代を血気盛んに渡り歩いた若い父と、死んだ母を偲ぶ老いた父の美しい物語を。

 数多の線で形づくられた父という輪郭の、都合の良い線だけ抜き取ってうっとり指でなぞる。私は自らエディットした物語に酔っていた。

 父のために父を美化したかったのではない。私自身が「父がどんなであろうと、全てこれで良かった」と自らの人生を肯定したいからだ。この男にはひどく傷つけられたこともあったではないか。もう忘れたのか。

 美談とは、成り上がるものではない。安く成り下がったものが美談なのだ。父から下戸の遺伝子を受け継いだからには、私はいつだって素面でいられる。どんな下衆な話でも、どんなにしょぼい話でも、笑い飛ばし、無様な不都合を愛憎でなぎ倒してこその現実ではないか。 

ありのままの姿を書くものの、気づいたら「美しい物語」になってしまっていた。
あたかも、結婚式での、お父さんへの手紙のようなものに。昔の思い出は美化されるものです。嫌なこともあったのに。
書くことで、「良いことも傷ついたことも含めて、自分の人生を肯定したい」と想う中での、葛藤を感じました。

 

 その他のエピソードとして、ケアハウスに入居しているジェーンさんの叔母さんとのエピソードもすごく良かった。自立心と好奇心が旺盛でおしゃれな叔母なのに、病気をしてすっかり元気がなくなっていく。

 叔母さんに残された時間が少ない中、ケアハウスから近所のスーパーへ連れ出していくことを叔母への「エンターテイメント」として贈る優しさ。

<P181「真っ赤なマニキュア」から> レジの向こうで会計が終わるのを待っていたら、どこからか小さな女の子がトコトコと叔母めがけて歩いてきた。途端、幼児の放つ瑞々しい生命力がその場に漲り、叔母は破顔して嬌声をあげる。子どもの立つ場所だけが日差しを浴びたように明るく輝き、拙い徒歩やぷにぷにの指先から解放される温かな波動を浴びて、叔母も輝いた。子供の生きる力が、一時停止ボタンを押されたままの叔母の日常を一瞬で突き動かすのを目の当たりにし、私は圧倒された。

生命力がキラキラと輝いているこのシーン。何度も読み返しました。

ストロング系社会。「上を向いてアルコール」小田嶋隆

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

 

 

コラムニスト、小田嶋隆さんの新刊です。 この本で小田嶋さんが元アルコール中毒と知って驚きが隠せませんでした。

厚生労働省によると、「アルコール依存症患者」と診断されている患者が、男性で95万人、女性で約14万人存在しているといいます。予備軍と見なされる人の数は、男女でそれぞれ、257万人と37万人にのぼるそう。

 

わたしはお酒が好きで、特に料理を作りながらのお酒が好き。

仕事でなんだかモヤっとした日は、ついコンビニで金麦を手に取ってしまいます。

 月曜日は週明けで疲れたから1本

 水曜日はノー残業デーだから1本

 金曜日は今週1週間頑張ったから1本、と・・・。

 

そう、この「ちょっと一杯」がアルコール依存症への道だそう。全く「アルコール依存症」という意識は無かったのですが、この本を読んで、私も依存症になる可能性はあるんだなと思うようになりました。

さらに現在の大きな依存症「スマホ依存」についても書かれています。お酒やスマホだけでなく、誰もが依存症になる可能性がある。

お酒(特にストロング系チューハイ)が好きな人、スマホを忘れた時の焦燥感を感じる人にオススメの一冊です。

 目次

 

お酒とコミュニケーション

酒飲んじゃうと楽なのは、「わたしはあなたより酔っ払いです」という設定で人と会えること。

 これ、すごくわかります。人見知りの私は飲み会に行くととりあえず飲んで酔っ払い、テンションを上げることで人と話せるようにしています。

 この本を読み進めるうちに、コミュニケーションをアルコールに依存してる・・・と気づくようになりました。

 

アル中さんの特徴とは

小田嶋さんが、いくつか「アル中さん」の特徴をあげていましたが、私が気になったのは以下のようなところ。

・アルコール依存っていって見れば、考え方の病気です。飲むとか飲まないってこともあるけど、ものの考え方そのものが、「あのときにあれだけできたんだから今でもできるはずだ」とか、そういう風にものを考えるようになる。アルコールのことだけじゃなくて、いろんな場面でそういう考えが顔を出す。

・アル中さんと言うのは、旅行に行くのでも、テレビを観るのでも、あるいは音楽を聴くのでも、全部酒ありき

・お酒は物語込みで消費するのが安全。

グルメなみなさんは、お酒も物語込みで消費します。でも、当然のことながらアル中さんはそういう物語とは別の世界に住んでいます。だって、飲酒という文化的な営為から、アルコールを摂取する以外の意味を剥ぎ取って行くことが、すなわち一人の人間がアル中として完成する過程でもあるわけですから。

 

アルコール依存症は考え方の病気。次の「ストロング系社会」ともつながりますが、「単に酔えればいい」というのは、手っ取り早く刺激や結論を求めるということになるんだなと思ってしまいました。

 

ストロング系社会

 私はこの本を読みながら、高アルコールチューハイの人気について考えました。

「ストロング系チューハイ」という、アルコール度数が9%の高アルコールチューハイが人気です。ビールの人気に陰りが見える中、この市場だけは伸びています。パッケージも女性を意識したり、キャラクターに人気女優を投入するなど、「高アルコール」であることを、素敵なキャラクターでどうにか和らげている、ぼやかしているように見えます。

 わたしも以前はこの手のチューハイを、「安いし手っ取り早く酔えるので楽」と思い常飲していましたが、ずっとこれを飲んでいると、普通のチューハイやビールのアルコール度数が物足りなくなってしまうようになってしまって。あ、まずいと思い飲むのを辞めました。

 手っ取り早く酔えて、刺激がもらえるストロング系チューハイ。効率を求めたり、白黒つけたい、すぐに納得がいく結論を求められる現代にすごくフィットしてるんだろうなぁと。社会全体が「ストロング化」してるんじゃないかな、という風に思いました。

アルコール依存症に変わる新たな脅威

現代の大きな依存症、スマホ依存についてもこう書きます。

 スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じ。

ある年齢より若い世代の、基本的な生活習慣であるとか、世界観であるとかいった、人間の脳みその根本のOSに当たる部分を蝕んでいる気がしますね。その出来上がりかたは、きっとアルコールがアル中さんの脳内にアルコール専用の回路を作る過程に似ていると思います。

コミュニケーションは、アルコールみたいにボトルに入った実態として目に見えないので、自分が依存していると言うことに割と気づきにくい。

コミュニケーション依存がわかりにくいのは、自分たちが依存している対象が、スマホという機械そのものではなくて、機械につながっている先にある他者とのコミュニケーションと言う点。

何かに依存してしまうと言うことは、自分自身であることの重荷から逃れようとすることで、その先はスマホでもお酒でもそんなに変わんない。

スマホを忘れたときの焦燥感はすごくわかります。

けど、依存症っていわれると「いや私は違うよ」と言いたくなる気持ち。大きな枠組みから言えば、われわれは結局のところ何かに依存していて、その依存先を都合次第で乗り換えているということですよ。

と小田嶋さんは話します。何かに依存していて、依存していると指摘されると、どこか恥ずかしくて否定したくなる。その「恥ずかしさ」をせめて自覚すること大切なのかなと思いました。

文章は素材が9割 「10倍速く書ける 超スピード文章術」上阪徹

 

10倍速く書ける 超スピード文章術

10倍速く書ける 超スピード文章術

 

 

読みました。

誰もが「書く」ことから避けられない時代です。

LINE、メール、報告書、企画書など。

「メール1本書くのにもものすごい時間がかかる」

「書いては消し、書いては消しを繰り返し、結局何を言いたいかわからなくなってしまった」

この本は、そういった悩みを抱えている人におすすめの一冊です。

 

 目次

 

なぜ文章を書くのに時間がかかるのか

それは、「うまく書こう」とするから。

「文章は、こう書くべき」「読み手の心をうつうまい文章を書かなければならない」といううまい文章の呪縛があると著者は言います。

ですがそれは仕方がないこと。学校では「うまい表現」を習いましたが、社会人になったあと「ビジネスで求められる文章」を学ぶ機会がないからとあります。

では、ビジネスで求められる文章を書くのに必要なこととは、

素材探し」で、「文章は素材が9割」。

そして、目指すべきは「わかりやすくて、読者に役立つ文章」。

 

素材の3要素とは

独自の事実、エピソード、数字の3つ。読み手に「これを伝えたい」という内容そのもの。

そして、企画書も素材から作ることができます。

企画書の読み手が知りたいのは、

「どんな課題をどのように解決するのか?」

それを補強する必要最低限の素材さえあれば、企画書は書けてしまいます。

 

文章の素材を集める2つのルール

1.文章を書く「表面上の目的」を掘り下げて、「その文章を読んだ読者にどんなことを感じてもらいたいのか?」と言う「真の目的」を決める

2.具体的な読者を決める。どうしても読者をイメージできない時は、身近にいる友人や知人の中から「1人」を選んで読者に設定すればいい。

この2番、わたしも企画で悩んでいた時に試してみましたが効果抜群でした。

 

素材集めでぜひ覚えておくこと

「見たもの」も素材になる、ということ。

例えば、経営者を取材した時、社長室に重厚感があったとしたら、単に「重厚感がある」と書くのではなく、重厚感の「中身」を書く。壁やカーペットのいろ、テーブルやソファーの特徴など、「重厚感を象徴するもの」を書く。

 「形容詞は使わない」ことを意識するだけでグッと伝わりやすくなるんだなと目から鱗でした。

 

集めた素材をどうするか

「目の前に読者がいるとして、その相手に喋って伝えるとしたら、どんな順番にするか?」を考えます。

話すように、書く。

ここでも、先ほどの「読者」が大切になります。

 

書くことに陥りがちなこと

「迷い」が書くスピードを落とします。

大切なこととして、「完璧主義」をやめること。書いている最中に悩まず、一気に書ききり、あとで削ることが大切と著者はおっしゃいます。

 

著書の上阪徹さんの紹介

ブックライターの上阪徹さん。もともと「1日300字」の遅筆家でしたが、この本に書いてある技術を身につけたことで今や「5日で本1冊」の爆速ライターに生まれ変わったそうです。

 

最後に

書評を書くときのポイントも参考になったので紹介します。

「書評では必ずしも本の内容を書く必要がない」

読者と目的をしっかり定めれば、いろんな書き方があります。必要なのは、読者にとってどんなメリットがあるか?ということです。

この本を読むまで、文章は「才能」や「感性」だと思っていましたが、「技術」なんだなと感じました。

ライターさん、編集さん、広報さんなど、文章を必要とする人におすすめしたい一冊です。